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森田療法の神髄「あるがまま」について一番分かりやすく書かれている小説は、超有名作家が書いたこの本です!

 

 森田療法を勉強すると森田の神髄は、何といっても「あるがまま」ということを知ります。

 

ところが、症状にとらわれている方は、症状が気になってしまう強烈な悩みのクセ(精神交互作用)があり、本を読んだくらいで簡単に「あるがまま」になれません。(稀に本を読んだだけで治る方もいるようです)

 

症状をあるがままに受け入れるということが出来ないだけでなく、あるがままの意味さえよく分からないという方もいらっしゃいます。

 

森田の本を読むといろいろな先生が、「あるがまま」について書いていますが、それを小説にして上手く表現している本があります。

 

それが、芥川龍之介の「鼻」です。

 

ある小説家が言っていました。

 

「我々小説家は、唯一うそをついていい職業です。直接的な言葉で表題出来ないことをうその物語(フィクション)を通じて表現し、読み手に伝えています。愛情、友情、青春など直線的な言葉で表現しても伝わりづらいことについて物語を通してして登場人物に語らせ、読み手に感動とともに本質を伝えるのが仕事です。」と。

 

「あるがまま」も直線的な言葉で伝えるには結構無理のある言葉ではないかと考えます。

 

(ここから多少のネタバレあります)

 

芥川龍之介の「鼻」は、自分の鼻がものすごく大きくて、それを悩んでいるあるお寺の住職が主人公です。どのくらい鼻が大きいかと言うと、だらりと顎の辺りまで垂れ下がって、風が吹くとなびくというくらいですから、まぁ、フィクションの世界です。

 

その鼻が大きいということが、森田的には症状(対人恐怖症、不眠症、強迫神経質症、赤面症、雑音恐怖、吃音恐怖、社会適応不安)な訳ですが、それを治そうと悪戦苦闘する様が、悩んでいる森田神経質者と全く同じです。自分がそのことで悩んでいることを人には知られたくない訳です。

 

最初にこの本を読んだ時、これは「あるがまま」のことをぴったり書いていると膝を叩いて感動したことを思い出しますが、23回と読んでいると、龍之介は、かなりユーモアを持ってこれを書いたのではないかと、考えるようになりました。悩んでいる人を馬鹿にはしていないと思いますが、人の悪いユーモアを感じます。(笑)

 

症状に問われて苦しみの真っただ中にいる人は、真剣に悩みを取りたいともがき苦しんでいますが、龍之介からすると「悩んでいることはこの程度ですよ。他人は全く気にしてないことを、あなただけが悩んでいるだけですよ。」と言っているような気がします。

 

そして、最後の一行でばっちり決めています。

 

その一行は、ここでは書きませんが、龍之介はこの一行を書くためにこの小説を書いたのだろうと確信するほどの渾身の一行です。

 

短編小説で20分程で読める小説ですので森田を勉強するにあたって読んでいて損のない小説だと思います。そして最後の一行で「あるがまま」の爽快さを味わってほしいものです。

 

私は、森田療法を勉強する際、「あるがまま」の大切さを理解して、とにかく症状をあるがままに受け入れようと、積極的に「あるがまま」になろうと努力していました。そこで、会社への通勤時間とか少し空き時間があると「あるがまま、あるがまま」とつぶやいていました。

 

これが、森田初心者の方がハマる「あるがままにとらわれる」というパターンです。

 

「あるがまま」は森田療法の神髄であることは間違いないのですが、「あるがまま」になりたいと意識している時は、「あるがまま」にはなれないということを最近知りました。

 

症状にとらわれている強烈な感情のクセを持っている方が「あるがまま」になりたいと思うことは、症状をとりたいと症状を意識してしまうことになるので、一番「あるがまま」から遠ざかってしまいます。

 

森田理論を勉強するにあたって「あるがまま」を勉強しないという選択肢はありませんが、初心者の方は一度「あるがまま」を勉強したら後は他の項目を勉強した方が効率的ではないかと思います。

 

森田療法と全く関係ないところで森田的な考え方をしているところは、他でも時々感じることがありますが、今日は芥川龍之介の「鼻」を紹介させていただきました。

 

生活の発見会では、森田関係の本を多く紹介しておりますが、この小説もお勧め図書として紹介しても全くおかしくない本だと確信しております。

 

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